心がけそして常に意識して行動した根底(1985年5月記)2017年5月14日
33歳の時、1982年7月1日付でキヤノン入社した時、これからの心構えとして、私がメモ(1985年5月)しておいたものです。サラリーマンとして私が心がけてそして常に意識して行動した根底です。今となっては、35年前のメモです。渡部指針20170514.pdf
33歳の時、1982年7月1日付でキヤノン入社した時、これからの心構えとして、私がメモ(1985年5月)しておいたものです。サラリーマンとして私が心がけてそして常に意識して行動した根底です。今となっては、35年前のメモです。渡部指針20170514.pdf
私の会社のポリシーは信頼の輪です。約束を守り感謝の気持ちを持つことが信頼の輪の鍵です。信頼の輪20050110.pdf
電源品質調査の仕事は世界中を訪問する、帰国後は電気部品の開発だった。最高に面白い仕事だった。この仕事を成功させ、かつこの研究で学位取得したいと決心した。茨城大学院に入学、お金もかかる。必ず二つをやりきると強く心に決めた。3年間の緊張した生活を開始した。たくさんの方の支援で3年半で完遂できた。応援してくれた方に感謝の気持ちでいっぱいです。20170106仕事の成功と学位取得.pdf
キヤノンを退職して9年が過ぎ10年目に入る。キヤノンでは安全規格の仕事を行い、その後、製品の安全性・信頼性の仕事に就いた。
実質安全性の仕事はアメリカ、ドイツ等の認証体制が整った時点の異動だった。製品の安全性は、安全規格だけで十分という劣勢の中で、「課長代理」としての部下3人からの出発だった。最終的には安全規格認証部門、調査部門、電波部門、実質安全部門を抱え40人の部となった。その頃、岩手大学の幼なじみの職員から依頼されて、「企業の社会的責任」というタイトルで岩手大学にて講演した。2005年ころには部は、役割を終えて2007年に解散した。私のキヤノンでの仕事20160912.pdf2006年10月 岩手大学工学部にて講演した記録.pdf
小に徹して勝つ というタイトルの講演会である。田中先生はこのたび同名の本を記述した。日本経済新聞時代にどのようなことを考えて仕事をしてきたのか。それから独立して今に至る経緯が書かれている。
これらの本の内容も含め講演であり、先生の講演は7000回に及ぶという。最近は古典落語に近いという。同じ話を何度も聞き、自分を振り返る。先生の講演記録と私の感想を含めた記録をお読みください。小に徹して勝つ20161017(メモ).pdf
2007年8月31日にキヤノン株式会社を58歳で退職し、9月3日から自営業を道を歩んだ。2016年9月から独立て10年目に入る
田中真澄先生は、一芸8年商売10年、コツコツ仕事をする、心構えが大切、引きが商いの原点と常々言われている。まったく同感です。このように人生を歩む基本をきちんと伝える方に私は心より賛成の意を唱えたい。そんな思いで今までの10年を振り返り、自分の原点をしっかり認識したい。20160828 2016年9月から開業して10ねn(ホームページ用)).pdf
2007年9月から独立自営の生活を開始した。しっかり日々自分を律して生活することが肝心だと心底思った。2011年ごろに田中真澄先生の本を読み感動した。本棚を見たらすでに田中先生の本が何冊かあった。今までの自分の心境と非常によく似ている。田中先生は、日本経済新聞を42歳で辞めて独立した方であり、人生は後半が大切。定年後が勝負だと。この考えは私と同じである。思い切って手紙を出したら丁寧な返事があり大変うれしかった。2014年に田中真澄塾を開催していることを知り、さっそく申し込んだ。講演会も参加した。田中先生講演【2014年11月22日】.pdf田中真澄様講演会【2015年11月14日】.pdf
ライフワークの見つけかたという本が1978年ごろベストセラーになった。元IBM井上富雄様である。
その後井上先生は何冊も本を出した。私は引き続き井上先生の本を手本にキヤノン時代を過ごした。2000年ごろ週末起業という一時代を築く藤井孝一様が登場した。この方の本も読んだ。さらに藤井様主催の会合にも何度も参加した。若い人が多かった。私は技術者らしい見本がほしかった。ぴったりの本があった。元オートバイ会社にいた梅原様であった。それから、50代後半に独立する際の具体的な本も探した。独立する上で大変役に立った本.pdf
2005年9月で学位を取得できたので、2006年は本格的に起業への活動を開始した。10年前になる。
この時にきちんとビジネスプランを立てることが目標だった。これは2004年の技術士起業研修会で学んでいた。基本どうりに行う。今思えばこれがよかった。最終的には、東京都の起業研修会でプランを作りあげた。2006年7月30日のことである。今から10年前になる。この計画どうりに10年間進めて来た。不思議なもので計画はほぼ達成できた。現時点の【これらの10年計画】も達成できそうな気がする。埼玉セミナ起業プラン2006年7月17日記.pdf東京都主催ビジネスプラン研修会2006年7月30日記(HP用).pdf
2004年ごろはまだ学位取得に全力を尽くしていた。2005年から2006年にかけて独立への気持ちが固まってきた。
安定した企業を辞めるのは勇気がいる。しかし、いずれにしろ60歳で定年である。早いか遅いかの違いだけである。私は昭和24年生まれなので団塊の世代の一番最後である。2年早く辞めれば団塊の世代の一番最初の世代と同じと考えた。ゆえ、56歳から58歳で辞めるのが適切だと思った。つまり、団塊の世代と同じスタートラインである。技術士業務研修会を受講して2004年5月20日.pdf信頼の輪2005年1月10日.pdfこれからの10年計画2006年5月30日.pdf